ベルンハルト・シュリンク『朗読者』
大人になるのもいいものだ。
ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』を再読した。
初めて読んだのは、確か中学生の頃。
この物語の主人公ミヒャエルと同世代の頃だ。
父が薦めていたので、手に取ったのだった。
しかし、当時はこの物語の意味が分からなかった。
物語の中でセンセーショナルに描かれている”15才の少年が30を越えた女性と関係を持つ”という描写が、中学生の私には、グロテスクに思えて仕方なかった。
そこだけに意識が向いてしまって、この物語の根底にあるものを感じることができなかったのだと思う。
今、私は、ハンナと同世代の35才。
読み返してよかった。大人になるのも悪くない。
○あらすじ
15才の少年ミヒャエルは、ある雨の日、通学途中の道で気分が悪くなり、偶然通りかかった名も知らぬ女性に介抱してもらう。
ミヒャエルは黄疸に罹っており、数か月療養生活を余儀なくされたのだった。
病気が治った後、ミヒャエルは助けてくれた女性を探し出し、再会する。
女性の名前はハンナ。彼よりずっと年上の36才の女性だ。
ミヒャエルは学校帰りにハンナのアパートに通い、二人は肉体関係を持つ。
「なにか朗読してよ、坊や」
ハンナはいつもミヒャエルに本の朗読をせがむ。
ベッドの上でトルストイやホメロスを朗読するミヒャエルと、それを聴くハンナ。
しかし、ふたりの逢瀬は突然の終わりを告げる。
ある日突然ハンナが行方をくらませたのだった。
数年後、喪失感をかかえながら大人になったミヒャエルに、再びハンナの人生が交錯する。
○人の悲しみに寄り添うことはできるのか
会社での昇進よりも、無期懲役の判決よりも、ハンナには大切なことがあった。
多くの人は、その選択を理解できないかもしれない。
ただ、ハンナにとっては、あることを隠し通すことこそが自分を守ることだったのだ。
中学生の私には理解できなかった苦しみと悲しみがそこにあった。
人に知られたくない秘密、本人の力ではどうしようもできない問題、こうしたもので苦しむ人の悲しさ。
戦後のドイツであっても、現代の日本であっても変わらない普遍的な悲しみを描いているからこそ、この本は全世界で多く読まれているのだと思う。
LGBTであることを隠している人に「そんなこと誰も気にしないから話してごらん」と言うことの残酷さ、病気や障害を持つ人に「そんなこと大したことないよ」と励ますことの無責任さ。
相手のことを考えてしまうと何も言えず、行動できなくなってしまう自分がいる。
人は、人の悲しみに寄り添うことができるのか。
それが、この本を読んで私に突きつけられた命題だ。
○この本のいいところ
この小説は、様々な「問い」を投げかけてくれる。
人間が人間を裁くことが出来るのか、戦争とは何か、自己満足と欺瞞について、貧困と無知、知識を得ることで失うものはあるのか。
こうした答えのない問いが、「自分自身の物事との向き合い方」を考えさせてくれる。
答えがないからこそ、自分の中を深く覗いてみないと問いに向かいあうことができないのだ。
インターネットで検索したらすぐ答えが出る時代だけれど、世の中には答えがない問いも存在するのだということを認識させてくれる。
それもこの小説の素晴らしいところだと思う。
戦後ドイツの曇った空や、冷たい階段、本の匂い、ハンナの視線…
読者と一定の距離をおいた描写が好きです。
とても悲しい気持ちにもなるけれど、心が揺さぶられる物語です。
(好きな人には悪いけど、テレビのワイドショーなんて見られなくなるよ。)
ぜひ読んでみてほしい。
読んだことがある人も、また読んでみてほしい。
余談ですが、映画版『愛を読むひと』もとても好みでした。
間違いなく、ケイト・ウィンスレットの代表作だと思う。
鑑賞する際は、ハンカチ、ティッシュをお忘れなく。
↓手元に置いておきたい本
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↓映画版もおすすめ。ケイト・ウィンスレットが素晴らしい。ヴォルデモート卿も出ています。
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